君は可愛い

八月七日。雨の音で目覚める。目を瞑っていると携帯電話の振動で再び起こされる。寝ていたと君が訊くのでうんと返すとパジャマパーティーだと宣言される。当然に付き合う。

八月四日。君から返信が来ない。また長風呂かと思いながら本を開く。一緒にランチを食べたかったねと架空の猫に云うとにゃあという声が聞こえる。現代の少女は男の人など要らないという一文に頷く。

七月三十一日。仕事を終えて布団に寝転がっていると君が電話を鳴らす。ベランダで花火をしようと云うので馬鹿と返すとベランダ用のだようとかバケツも有るからとか粘られる。君に振り回されることは何故か悪くない。

七月二十八日。君の目が腫れているのでどうしたのと訊くと麦粒腫と答えて痒いと続ける。何となく私まで擽ったくなって目蓋を擦ると指がきらきらと光る。今日のアイシャドーはと尋ねられて初恋の記憶と返す。猫のように目を擦ろうとする手を摑みながら。

七月二十五日。昔の夏は季節だったねと君が云う。何を読んでいるのと尋ねると歳時記と返される。窓の大きなベーカリーで今はもう暴力だよと君が頁を捲る。酷暑日の外出が法律で禁止されてから気象庁は天気を操る技術を研究しているらしい。欠伸のような話だ。

七月二十日。今年は七月に入っても涼しかったから油断していた。夏の光だとカーテン越しに思う。ラジオを付ける。南極は例年より十度も暑いらしい。からんからんとグラスの氷を鳴らす。

七月十二日。早朝の喫茶店に行く。猫耳を付けた客が多い。流行っているのか。小説を開いて少女の復讐を見届ける。

六月二十一日。ラジオを付けると百年後には氷河期が来るとか宇宙人によって人類が滅ぶとか教室の噂話のような投書が読まれる。パーソナリティーはにこにこと怖いですねと話しているけれどそうだろうか。今年の夏も電気代が怖いと云っていた君を思い出す。と云っても私達は国からの生活費で暮らしているのだけれど。

六月十六日。小説を読みながらこの国が色々な形でフィクションを要する理由は宗教が根付かなかったからかと思う。君と私の間のフィクションと頭の中で君が云う。喫茶店に居ると一人でも何かを共有しているようだ。

六月九日。炭酸水で抗不安薬を飲む。最近はメロンソーダに嵌まっている。不健康な緑色。冷蔵庫の一部が埋まっている様子をしげしげと見てから君がサラダを取り出す。コンビニのものでも健康的に見えて少し可笑しい。

六月七日。カフェオレを飲んでも目が覚めない。日曜日だからか。クッションに体を預けてラジオを聴く。今日も文化放送が深海の音を流し続けていて君が海月に食べられる夢を見る。

六月一日。ぼんやりしていても六月は来る。麺麭を食べても卵を食べても満たされない。体に悪そうな菓子ばかりが心を少し満たすと布団の中でカラフルなポテトチップを貪る。

五月二十六日。暗い内に目を覚まして本棚の整理をする。本当は文庫だけ残したい。四時頃か。鳥が連鎖するように鳴いて朝は無垢な時間だと再び布団に入る。

五月十八日。バスから紫陽花の開花を確認する。梅雨の気配は未だ無いけれど時間が進んでいる。不可逆と焼魚を箸で指した君を思い出す。悪い子め。

五月十六日。パソコンで新聞を読んでいると君からメッセージが届く。無視して記事を読んでいると携帯電話が何度も震える。ねこねこ。ねこねこねこ。入浴剤は何方が良いかな。メッセージを読んで色や効能を見比べて可愛い方を選ぶ。人工知能に訊けば良いのにと思ったけれど君は未だ天敵だと思っている。

五月九日。君と電話で話した後にスーパーに行く。麺麭と牛乳と卵を籠に入れて何時も同じになってしまうなと季節限定のポテトチップでバランスを取る。夢見るソーダ味だそうだ。君は奥歯が痛むと話していた。虫歯だとしたら色っぽいよねと笑っていたけれど怖かったのだと思う。

五月四日。記憶は厄介だ。私は私の物語を変えることはできなくて小さな抵抗としてこのような日記を書いている。ねこねこと送っても君から返信は来ない。ねこねこねこと書いて消す。記憶も削除できたら良いのにと冷凍庫からアイスクリームを取り出す。

四月二十七日。ファミレスで君とランチを食べていたら雨に閉じ込められてしまう。昼寝と云って頬杖を突いた君は目を閉じている。永遠に出られなかったらと考えてプリンを慌てて注文する。

四月二十二日。抑圧されたものは詩の形で何度も現れると君は云う。ファミレスのモーニングを美味しそうに食べながら。実際にスクランブルエッグとベーコンとサラダにパンとスープが付いたセットは豪華でないけれど贅沢だ。老嬢と呼びたくなる二人が私達と同じように朝食を食べている。

四月十四日。ラジオは深海から届く声のように賑やかで淋しい。カーペットに寝転びながら君にメッセージを送る。ねこねこ。桜の時期は短くて冷房が動くことを確認して消す。携帯電話が公衆電話からの着信を知らせて迷っている間に切れる。春は眠い。春は短い。

四月六日。春というより夏だ。来月には半袖を着ているかも知れないと冷凍庫を何度も開けてしまう。クッションに凭れていると携帯電話が鳴る。君からかも知れないと思いながら眠る。

四月一日。ハンドクリームを使い切ったから春だと君が云う。変な宣言だと思いながら私は物語という嘘をとても愛していると云う。大袈裟な言葉はそれこそ嘘のように響くけれど君は私より少し前を歩きながら言葉そのものが嘘だよと訂正してくれる。

三月二十八日。外に出ると桜が殆ど咲いている。君の部屋のベランダで花見がしたいと思ってメッセージを送ると酒と肴と返される。私達はアルコールにとても弱いのに。ジュースとサラダでも買って行こうかとコンビニに向かう。

三月二十五日。落ち込んだら寝るものだよと君が金平糖を差し出す。布団で目覚めて雨の音で夜だと分かる。

三月十八日。平日だけれど何時もの喫茶店で少し高いプリンを食べる。君にねこねこと送っても返信は来ない。また浴室に本を持ち込んでいるのだろう。ねこねこねこ。ねこねこねこねこ。メッセージを送って仕事のために家に帰る。

三月十六日。春の夜は寒い。コンビニでお結びと味噌汁を買って桜を探しながら帰っていると猫が足に戯れ付いてくる。下を見ていなかったから危ない。頭を撫でようとすると走って逃げられる。アルコールも買ってくれば良かったとビニール袋を顔の前に掲げる。

三月十一日。そろそろ花見だいふくが出ているかなとコンビニに行く途中で猫に懐かれる。みゃおみゃおと体を擦り付けてくるけれど発情期だろうか。コンビニで猫缶を買って開けようとするともう姿を消していてどうしようかなと原材料を確かめる。

三月六日。人工知能の急速な発展で働かなくても食べていける社会になったとラジオが話している。人間とは。生きるとは。壮大なテーマについてアイドルが生きることは夢見ることだと答えて眠ることも好きですと付け足す。君が居ないと私は幽霊のようだと剝がれそうな雪のウォールステッカーを手で押さえる。

三月三日。二次元のアイドルの曲を聴きながら仕事をしていると君から電話が掛かってくる。反射的に出ると皆既月食だよと明るい声で云う。雨だよと返すと見えないのかなと君がベランダに出る気配がする。見えたとやはり明るい声で云うけれど本当だろうか。仕事を中断して冷蔵庫からメロンソーダを取り出す。

三月一日。三月は唐突に訪れる。春の夜だと電話の向こうで君が燥ぐ。ベランダで炭酸水を飲んでいるらしい。寒くないのと問えば寒いとか暑いとか分からないと何時もの台詞が返される。君が鈍感に見える時に何故か私の方の心が痛い。

二月二十五日。与える人は奪われないという文章に本を置く。確かに前者の方が僅かに主体性を保てそうで苦笑してしまう。私の人生のようだ。優しいとか従順とか献身的とか云われながら何を守ってきたのかなんて君は知らなくて良い。この雨はもう春だろうか。

二月二十三日。欠氷と書かれた看板を見付ける。もうそんな季節かと思ったけれど未だ三月にもなっていない。変なのと思いながら図書館に向かう。予約していた本を受け取ってバスで帰る。車窓の風景が春めいていることに気付いて注文してみれば良かったと少し後悔する。

二月二十二日。ラジオから猫に優しくというメッセージが流れて猫の日だと知る。君はまた浴槽で読書しているのか返信がなかなか来ない。どの局でも猫について話していて偶に人工知能はどのような人間が好きかなんて葉書が読まれるとパーソナリティーと一緒に悩んでしまう。

二月二十日。クリームソーダの作法が分かっていないのかソフトクリームが溶けてからストローで吸い始める君に何でと云ってしまう。君も変だと思っているのかえへへと誤魔化す。牛乳っぽいという感想に頷くことしかできないけれど何時か試してみたいと思ってしまうから君と関わり続けているのだろう。読んでいた本の半ばで主人公が居なくなる。

二月十六日。フライパンでオニオンドレッシングとピザチーズと牛乳を掻き混ぜて卵を割る。何時ものように二つだ。スクランブルエッグになるまで火を通して完成したら皿に乗せる。スライスされたフランスパンとブラックオリーブを添えて写真を撮る。悪くない。君に送ると朝食のような夕食だねえと感心したような返信が来る。とろんとした卵を前に手を合わせる。

二月十四日。例年の通りに喫茶店でチョコレートを交換する。君は正方形の薄いチョコレートが五枚でどれも高級品の顔をしている。私は缶に入ったチョコレートで学生が好むようなカラフルなものだ。今年は君の勝ちかなと視線を遣るとにこにこと食べ始めようとするので喫茶店だぞと注意する。冗談と云う君はご機嫌でやはり負けた気分がする。

二月十三日。久々に化粧をしたら微妙に濃くなってしまう。化粧と云ってもアイシャドーを塗ったりしたくらいだけれど。喫茶店で本を読みながら君を待つ。女子校を舞台にしたガール・ミーツ・ガールで十代の若さや眩しさにくらくらして目を瞑る。暫くそうしていると壊れた玩具のような音楽が聞こえてきて何だと思うと君が真剣にオルゴールを回している。

二月十一日。余りに寒くて布団から出られない。また冬眠に入る前にカップスープを作って飲む。麺麭も電子レンジで温めて食べる。君にねこねことメッセージを送ると電話が掛かってきて私が寝ていた間のニュースを聞かせてくれるけれど偶に嘘や冗談も混ざっていて困る。そして私がもうと云うと君は軽やかに笑うのだ。

二月十日。目覚めると二月になっている。余りの寒さに冬眠していたらしい。食欲は無いけれど冷凍庫からアイスクリームを取り出す。猫も喜ぶ完璧なバニラ味と書かれた蓋を取ってスプーンで掬う。確かに他のバニラアイスより美味しい気もする。携帯電話を見るとメッセージが溜まっていて雪達磨の写真まで送られている。当然だけれど君からだ。

一月二十八日。淋しいと呟いて寒いだけだと気付く。暖房を少し強くする。最近はラジオより英語を流すことが多くて人に話すと英語なんて人工知能に翻訳させれば良いのにと不思議そうにされる。君だけが片言の英語で私は元気ですと返してくれる。冬はどんどん寒くなっているのに地球温暖化は進んでいるらしい。南極の氷を思う。

一月二十三日。電車で行けば隣の駅だけれどバスに乗ってみる。車窓から見える町並は新鮮で懐かしい。市内を回るように走ったバスを降りて図書館に向かう。文庫だけを収集した図書館の近くには半ば緑に飲み込まれている喫茶店が有って手が小さい人のためにというサイズを展開している。何となく君の手を思い出してでも本は買う人だからなと通り過ぎる。

一月二十二日。親密さとは私達の間にどれだけのフィクションを生じさせられるかだよと君が珈琲を掻き混ぜながら云う。五個目の砂糖が入れられた時にオレンジジュースでも頼めば良いのにと思ったけれどフィクションという語に立ち止まる。私達の間にどんなフィクションが共有されているのと問えばカップをゆっくりと持ち上げてふふんと笑う。何となく腹が立って甘党と罵る。

一月二十一日。本との縁が無くて小説というと教科書で断片的に読める物語のことだった。紆余曲折を経てライターをしている今でも未だ古典作品も殆ど読めていない。という話を君にするとふうんと石鹸玉を膨らませる。ベランダから飛んでいく丸い玉は君のように適当で時に猫の顔の形にさえなる。

一月二十日。美しい夢を見たということだけ覚えていて思い出せない。どうにかまた同じ夢の中に潜り込めないかと目を瞑るものの頭が過去の反芻を始める前に服薬したいと思う。夢。夢。と考えている内に君が水槽を倒して教室が水浸しになったことを思い出す。夢だったろうか。

一月十九日。化粧水と乳液を変えたら肌がもちもちしているので写真を何枚か撮る。最も可愛く撮れたものを君に送るとにゃーんと返事が来るのでにやにやしながら仕事に戻る。人工知能が発達したこの国で働いている人は珍しい。それでも作品を通して社会に関わることでしか自らの存在を許せない人も居るのだとキーボードに触れる。

一月十八日。喫茶店に飾られている絵を写真に撮って君に送る。額縁に入れられた五枚の絵は一連の作品にも独立しているようにも見える。君から返信はなかなか来ない。恐らく入浴しているのだろう。長風呂を好む君は文庫を浴室に持ち込んで数時間は音信不通になる。喫茶店を見渡すと別の壁にも絵画が飾られていて席を立つ。

一月十六日。君の送ってくれた水が宅配ボックスに入れられていた。十キロは有るか。ジャムの瓶も開けられない非力な私が運べるかと迷ったものの台車も無いので持ち上げるしかない。よろよろと玄関まで運んで君にメッセージを送る。ねこねこ。直ぐにねこねこねこと返ってくる。何となく笑ってしまう。

一月十五日。君と雑貨屋に行く。看板や値札に書かれた花のような文字が何処の国の言葉か分からなくて出ようと君の袖を摑む。仕事を辞めた君は強気でレースのような食器を手に取ってセルフレジに向かう。ぴっという音と同時に金額でなく猫に優しくしなさいという文字が表示されて君を置いて店を出る。何だようと君もエコバッグを提げて出てくる。帰途。黒猫を見付けたので二人で拝む。