夢の外では穏やかな先輩が古い童話を聞かせてくれた。この世界は一人の老女が見ている夢で私達は物語の端役に過ぎないのだと。珈琲に角砂糖を溶かしながらお婆さんが夢から覚めたら私達はどうなるのと訊けば先輩は冷たく告げる。夢と同時に消滅するか夢の外に追放されるか。かちゃかちゃと陶器の触れ合う音だけが冬の部室に響く。
ほら。花冠よ。上手くできたから貴方に上げようと思ったの。先輩は酔ったように笑って疾うに成人している私に被せる。どうせならば王冠が良いよと連なった花に両手を遣れば駄目えと頭上から蔓が伸びてきて体を拘束される。ほら。とっても綺麗。先輩は夢でしか見せない顔で喜ぶ。起きたら絶対に後悔するな。この人。私は大人しく朝を待つことにする。
先輩に初めて会った日を覚えている。保健室から教室までの長い廊下をぽつんとした気持で歩いていた。夢から覚める度に自分が誰だか分からなくなる。その絶望とも虚無とも呼べるものの大きさに座り込みたくなる私の前に強烈な既視感が訪れた。階段からゆったりと下りてくる先輩は私の高揚を全て無視してあらと難しい顔で呟いた。本当に居たの。
先輩の話が正しいならば私達が見ている夢は何なのと珈琲に角砂糖を投げ込む。それはと少し考えてみせて現実かしらと先輩は自説を語り始める。敵の敵が味方ならば夢の夢は現実よねと云うこの人が賢いのか何なのか分からない。お婆さんは何処に居るのと訊けば童話の国よと告げて先輩は読書に戻る。図書室から借りてきたのだろうか。海外の絵本だ。表紙だけで美しい物語だと分かる。
その国は冬と夜しか無くて一晩に十三の月が見えた。先輩は私の手を引いて見て見てと自分も顔を上げる。絵本より美しいわ。頑張ったのよ。褒めて。私は空いている方の手で柔らかな髪を撫でながらこの人はどうしてこうなのだろうと考える。可愛いけれど。部室で私達は何時も気不味く珈琲を飲むだけなのに。それともこの先輩が本当なのだろうか。
夢に先輩が出てこなくなる。というより夢を見る頻度が明らかに減っている。見ても覚えていないことが多い。私は部室に行く度に先輩が居ることを確認して覚えていますかと問い詰める。先輩は砂漠の花の話をする。王国の娘の話をする。少し照れているから夢の私達はそのままなのだろう。私だけが夢に入れないのだと分かる。どうして。
先輩が卒業する頃には夢など殆ど見なくなっていた。睡眠薬を飲まなくても十分に眠れている。私は偶に淋しいような懐かしいような気持になるのにそれがどの先輩に向けられたものかも分からない。先輩の語った童話が本当ならば私はもう物語から追い出されたのだろうか。それを悲しいと思えないことが悲しくて連絡先を一つ消す。