軽蔑や拒絶という選択肢を奪われた時に人は過剰なほどの好意や親切を示すと知っている。接近した時に同じように距離を縮める人ならば壊れてしまえば良いと思っていた。そうですよね。先輩。だから私は貴方が笑ったり優しくしたりしなくて良いように無関心を装っていた。愛の反対は無関心だと云うけれど先輩にとって無関心こそ愛でしたよね。
私は先輩が頼ったり甘えたりしてくれる唯一の人になりたかった。だから先輩が情緒不安定なメールを送信してくるようになった時に嬉しくて嬉しくて専用のメールボックスを作成した。小説で言葉を学んだと云う先輩は死ねとも死にたいとも書かなかった。豊かな語彙と静かな文体で呪われながら呪っていた。自分自身を。先輩も人を嫌いになって良いんですよと返信していたら簡単に解けた呪いだったと思う。
部室で二人だけだった時に批判は愛と理解に基づいて行われるべきだと先輩は語った。それは本の感想についての話だったけれど私はどうしてこの人が自己否定ばかりして自己批判できないのか少し分かった。先輩は幾つもの扉に鍵を掛けていた。世界へのものも。他者へのものも。自分自身へのものも。本だけが先輩に開けられる扉でそれさえ困難になった時に本棚の写真が送られてきた。空っぽだった。
人の言葉を無批判に信じようとして矛盾や欺瞞が溢れてしまった先輩を本当は救えたと思う。私の言葉だけが正しいのだと多神教から一神教に変えさせてあげるだけで良かった。それだけだった。でも私はそのような先輩の在り方をとても愛していて神様のように無関心になどなれなかった。先輩は壊れていても美しい。