菫青石

硝子。という名が貴方の本当の名前だったのかも知れない。強く触れれば砕け散りそうな声の脆さを覚えている。薦められた幾つもの本。手紙に書かれていた控えめな言葉。私は貴方の顔も髪の長さも制服の装飾の色も思い出せない。菫青石と呼ぶ声に目覚める。寮の自室だ。貴方は居ない。

貴方は玻璃と名乗った後に瑠璃の方が良かったかなと小首を傾げてみせた。私達の名前は入学時に校長から与えられた絶対的なものだ。それをそのように軽率に扱うなんて。怒るべきか恐れるべきか分からなくて混乱したまま玻璃と呼んだ。貴方はそれ以外の何者でもないと安心させるように。

図書室の幽霊の噂を耳にした時に貴方を思い出した。学年が異なるのだから図書室の外で会わなくても不思議でないのに。図書委員でもないのに遅くまで残ることを咎められない貴方の姿の淋しさ。私達は図書室の静寂を守りたくて会話より筆談や文通を好んだ。貴方が居なくなって抽斗から手紙は全て消失していたけれど弱々しい筆跡を覚えている。

薔薇石英が熱心に辞書を捲っている。何を調べているのと訊けば幽霊と答える。死んだ人のこと。存在しないのに存在するように見せ掛けること。彼女は独語のように答え続ける。私は幽霊部員という語は載っているか尋ねる。彼女は小さく頭を振る。そうすると砂糖菓子のような香りが一瞬だけ漂って消えた。

声や言葉はちゃんと思い出せるのだ。それでも図書室の先生さえどの子かしらと不思議そうにする。水晶でなく玻璃という名の子は居たことが無いと思うわ。それだと硝子のようだし。先生は困惑しながら絡まった糸を解こうとしてくれる。私はそれを鋏で断ち切るようにありがとうございますと笑ってみせる。

私は寮の窓の硝子に触れる。温かくも冷たくもない。力を込めたら粉々に砕けて私の手を突き刺しそう。傷付けてほしかったわけでないけれどこうも何も残らないと傷の一つくらい残してくれればと思う。それとも記憶とは脳の傷だろうか。私は貴方を呼ぼうとして玻璃と硝子の間で口が躊躇う。

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