双晶

双子の妹を亡くした私に双晶という名が与えられたことは運命だろうか。嫌味だろうか。黒い制服は喪服のようで鏡の前で裾を広げて笑ってしまった。もし貴方も生きていたら私達は何と呼ばれたのだろう。まさか同じ名前を付けられることは無いだろうけれど。

第一学年を表す装飾を一つ一つ解いて制服から私服に着替える。廊下に出ると私服まで黒いことを揶揄う級友に喪に服しているのでとにこにこと返す。大抵は冗談と思ってご冥福をなんて返す子ばかりだけれどそうなのと真面目な顔で返す子も居た。どうして双晶なんて名前を付けられたのだろう。偶に叫びたいほど苛々する。

図書室に幽霊が居ると聞いた時に貴方だと確かに思った。放課後に毎日のように貴方の好みそうな書架の前に立つけれど当然ながら幽霊なんて居ない。笑えないほど少女趣味の怪談だ。それでも新刊を買いに行くと云って帰って来なかった貴方は此処に居るような気がして通い続ける。そうでなければ双晶なんて呼ばれたりしない。

宝石の名前で呼ばれる時に私は貴方と二人だったことを思い出す。誰もが私達を同じように扱った。私達は私と貴方でなく常に私達だった。双晶と呼ばれる度に幻肢痛のようなものを感じるけれど他の名前で呼ばれるよりずっと良かった。私達は微笑んで振り返る。

黒曜石

先生が薔薇石英を呼んでいる。社会の先生は老年の男性なので男の先生と陰で呼ばれている。一見して明朗で若々しい印象を与えるので逆上せる子も居るけれど他の男の先生と話している姿を見てああと思った。私の家は父と兄弟ばかりの家だったので。

別に薔薇石英が特別に好きだったわけでない。ただこの学校の制服は私の黒い髪に良く似合った。この学校を気に入っていた。社会の成績を上げて男の先生に質問を繰り返すだけで薔薇石英から私に関心は移された。薔薇石英は何も気付いていないのか事典やら画集やらを捲っている。綺麗だと思う。

男の先生は冗談や軽口を装ってこの学校に相応しくないことを云う。私は笑ったり困ったりしてみせる。何か決定的な証拠が必要だった。私は先生に手紙を書く。男の人の気持が分からないという体で。薔薇石英からも良く貰っていたよと先生は何でも無い顔で受け取る。それが本当かは分からない。

図書室には箱が置かれていた。私はそれに先生から貰った手紙を全て入れる。不快な言葉は有ったけれど校長がどう判断するかは分からない。図書室の先生には仕事を増やして悪いと思うけれど教室で薔薇石英がぶつぶつと語彙を増やしている姿を見るとこの学校に来て良かったと思う。私は城を守る茨になれただろうか。

菫青石

硝子。という名が貴方の本当の名前だったのかも知れない。強く触れれば砕け散りそうな声の脆さを覚えている。薦められた幾つもの本。手紙に書かれていた控えめな言葉。私は貴方の顔も髪の長さも制服の装飾の色も思い出せない。菫青石と呼ぶ声に目覚める。寮の自室だ。貴方は居ない。

貴方は玻璃と名乗った後に瑠璃の方が良かったかなと小首を傾げてみせた。私達の名前は入学時に校長から与えられた絶対的なものだ。それをそのように軽率に扱うなんて。怒るべきか恐れるべきか分からなくて混乱したまま玻璃と呼んだ。貴方はそれ以外の何者でもないと安心させるように。

図書室の幽霊の噂を耳にした時に貴方を思い出した。学年が異なるのだから図書室の外で会わなくても不思議でないのに。図書委員でもないのに遅くまで残ることを咎められない貴方の姿の淋しさ。私達は図書室の静寂を守りたくて会話より筆談や文通を好んだ。貴方が居なくなって抽斗から手紙は全て消失していたけれど弱々しい筆跡を覚えている。

薔薇石英が熱心に辞書を捲っている。何を調べているのと訊けば幽霊と答える。死んだ人のこと。存在しないのに存在するように見せ掛けること。彼女は独語のように答え続ける。私は幽霊部員という語は載っているか尋ねる。彼女は小さく頭を振る。そうすると砂糖菓子のような香りが一瞬だけ漂って消えた。

声や言葉はちゃんと思い出せるのだ。それでも図書室の先生さえどの子かしらと不思議そうにする。水晶でなく玻璃という名の子は居たことが無いと思うわ。それだと硝子のようだし。先生は困惑しながら絡まった糸を解こうとしてくれる。私はそれを鋏で断ち切るようにありがとうございますと笑ってみせる。

私は寮の窓の硝子に触れる。温かくも冷たくもない。力を込めたら粉々に砕けて私の手を突き刺しそう。傷付けてほしかったわけでないけれどこうも何も残らないと傷の一つくらい残してくれればと思う。それとも記憶とは脳の傷だろうか。私は貴方を呼ぼうとして玻璃と硝子の間で口が躊躇う。

図書室の先生

話すことと書くことが乖離しているように第一印象を裏切る子が居る。私はこの学校で燐灰石と呼ばれていた。今は図書室の先生と呼ばれている。入学式で生徒達はそれぞれ宝石の名を与えられて祝福される。祝福だろうか。私はそれを美しい呪いと云った子を覚えている。彼女は紅柱石と呼ばれていた。宝石言葉を幾つも教えてくれた。どうしたら退学できるのか何時も思案していた。

私は先ず図書室に一つの箱を置いた。匿名でも記名でも構わないから手紙を書きたかったら書きなさいと生徒達に伝えた。返事が欲しかったら名前を書いてもらえると助かるけれどと云い添えながら生徒達が名前を書くとしたら校長に与えられたものか戸籍に記されたものか考えてまた紅柱石のことを思い出した。殆どの生徒達は退屈そうで安心した。

手紙は多い月も少ない月も有った。時に私は保健室の先生に相談に乗ってもらいながら返事を書いた。本業は忙しくないのと尋ねられて図書委員が居るからと答えた。この人も此処の卒業生だと聞いている。名前は知らない。便箋と封筒を慎重に選んでそれより真剣に言葉を選ぶ。言霊という語を紅柱石は使った。どうして彼女のことばかり思い出してしまうのか。私は活字のような字を書き続ける。彼女は鉛筆の持ち方が悪くて疲れるからと板書を写すことを嫌った。遺書などは当然に書かなかった。

手紙に添えられた名前を見てあの子がねと思う時が有る。結局は私も宝石の名前を重んじている。それを内面どころか本質のように考えている。校長が選んだものだから。でもどのように。宝石でなくなった私にはもう生徒達のことを本当には分からない。でも宝石だった私は生徒達の知らないことを知っている。

真珠

私達の学校は入学すると直ぐに宝石の名前が与えられる。私は真珠という名を頂いた。金剛石と名付けられた子は見ただけで特別な子だと分かった。私は例えば石英が良かった。真珠だなんて鉱物ですらないと思う。何時かそれを緑柱石に話したら純粋だとか純潔だとか宝石言葉を持ち出された。彼女は時に恍惚とした目で私を見る。

緑柱石と親しくなる前に分かったことは崇拝も侮蔑も人を遠ざけるけれど後者は構いたがる人が案外に多いということだ。学校も寮も多感な少女達にさえ退屈だ。それでも緑柱石は跪きも踏み付けもしないだろう。彼女は偶に子供のような遊びを面白がる。特に綾取りが上手くて彼女の赤い糸は変幻自在に橋や箒を作る。それらは教室の中で静かに広まる。私は見えない糸に絡め取られるような不自由を覚える。

先生には名前が無かった。私達は国語の先生や美術の先生と呼ぶ。先生とは店内で微笑みながら客を待っている存在だ。見られるものでも選ばれるものでもない。ただ宝石を大切に管理して陳列する。求められれば説明もする。私は皆と同じように黒い制服を着ているけれど風で襞が捲れ上がっても手で押さえたりしない。学年ごとに異なる色の装飾を悪趣味だと思いながら一つずつ結ぶ。先生は私達を宝石の名で呼ぶ。私達は先生が独身なのかさえ知らない。

緑柱石に卒業したらどうすると訊いた時にぽかんとされたことが有る。彼女は暫く沈黙した後に家に帰ると思うと嘘か本当か分からないことを云った。それは願望だろうか。真珠はと問うので私は卒業したくないなと呟く。薔薇石英は誰に買われるのだろうと思いながら。貴方達は宝石です。宝石とは美しくて珍しくて永遠を思わせるものです。入学式で校長はそう話した。私は愛されるくらいならば憎悪されたいと思う。真珠はどのように砕けるのだろうか。

薔薇石英

貴方の欠点は死んでいないことだけよと真珠は私の名を確かめた後に告げた。会えない人と死んだ人は同じと云うけれど生きていれば会ってしまう可能性が有るもの。私は死んだ人が好き。でも私のために死ぬような人は愛せない。それだけ話してもう良いとも訊かないで見せた後ろ姿を私はやはり綺麗だと思った。現実なんて無視して観念の中で生きている人だとも思った。それを可愛いとも可哀相とも思った。

真珠。貴方こそ死んだら完璧な宝石として私でも愛せるのでないか。適当に選んだ画集をぼんやりと眺めながら云われたことを全て思い出す。何度も何度も。薔薇石英と先生が呼ぶのではあいと答える。学級委員は梅雨が過ぎてから少し忙しい。先生は離婚したばかりで小さな娘に会えないらしい。私は先生と二人の時に少しだけ無邪気に振る舞う。でも何かが欲しいわけでない。唯の慰安だ。

私が真珠に振られたという噂が何故か広まる。私は誰にもそのことを教えていなくて真珠にも恐らく話すような人が居ない。陰口を叩かれても真珠は綺麗だ。例えば硝子の中の積雪の絶対さで汚れたりしない。最近の私は貴方の名を簡単に呼べない。噂のためというより此処の生徒が神様の名を濫りに呼んだりしないように。私は恋愛と信仰の差を考える。そして改めて友愛という語を辞書で引いてみたりする。

死んだら良いのにと人前で零したことが有る。その子が余りに吃驚するので自分のことよと苦笑してしまった。私達はそれぞれ宝石の名を持つ。真珠は緑柱石という人と仲が良い。私は真珠という語も当然に調べていて生体鉱物という語を知った。私達はそれぞれ淋しい。

緑柱石

詩や小説を何遍も読むのは分かるわ。でもどうして参考書を二度も読む必要が有るの。真珠のその言葉は私達の関係を決定的に駄目にした。彼女に悪意も何も無いことは明らかだった。無知な子供や無垢な学者のように真珠は尋ねるけれど彼女のそれらを蒲魚と陰口するものは少なくない。真珠の悪口は娯楽の少ない寮生達の間で甘美な楽しみの一つになった。教科書を隠したり机に何か書いたりするには私達は賢くて恵まれていた。

曖昧な笑顔で疎まれるようになった真珠は昼は中庭で本を読むようになった。それが彼女の本心から望むことなのか分からなくて私は謝りながら淋しくないと問うた。真珠は吃驚した顔で淋しいわよと云った。そして私の名前を尋ねた。私はもう梅雨も始まるのにと思いながら答えた。緑柱石。真珠は聖書を暗誦するような顔で口にして貴方は人の心が分かるのねと私の目を覗き込んだ。不躾な視線が何故か快かった。私はこの子の視界に入って一人の人間として認識されたのだと踊り出したいくらい嬉しかった。

男に生まれていたら白痴か変人として受け入れられていた気がするの。雨が続くようになって真珠は教室で昼食を取るようになった。その頃には私は難しい同級生の唯一の友人のような立場を得ていた。真珠は意外なほど綺麗に箸を使った。鉛筆は握り込むように持つのに変なのと内心で思ったけれど黙っていた。女は難しいわねと頷けばでも女でなかったらこうして話してくれなかったでしょうと声を揺らしながら目をじっと見る。最近になって真珠は人より聡明なだけでなく繊細でないかと思う。私は段々と学校というものが嫌になる。

薔薇石英が失恋したことは直ぐに学年中に広まった。ふわふわの髪を二つに緩く結んだ子くらいの認識しかなかった私は可愛いのにねと呑気に答えた。馬鹿ね。真珠に振られたのよ。級友は口々に嘘か本当か分からないことを私に教えてくれた。遊ばれたのよ。可哀相な薔薇石英。私は噂の中には一つか二つくらいの事実が有ることを思いながら曖昧に微笑んだ。

孤立と孤高は違うと云うけれど真珠は群れないで滅んだ一匹の獣のようだった。私は皆の前で彼女を庇うことも嘲笑うこともしなかった。そうすれば美しい狼を犬のように手懐けられると分かっていたから。私達はそれぞれ賢くて愚かで正しく生きられない。真珠は今日も私の名前だけを呼ぶ。緑柱石。あのね。貴方は分かってくれると思うのだけれど。